柚 だ よ り   Y U Z U_C O L U M N
12月下号
<五感を刺激してくれる興味ぶかい場所を探訪する連載コラム、「五感漫遊記」。2000年〜2001年の橋渡しをしてくれる場所は、浅草の「羽子板市」です>

 浅草寺の羽子板市

 
羽子板市は、12月17日から浅草・浅草寺の境内で盛大に開かれる年中行事。
 「幸運を招く」縁起ものとして、羽子板と羽根が売られています。


 みなさんもテレビで「今年の羽子板の顔は、マラソンの高橋尚子さん、そして叶姉妹でーす」というシーンをご覧になった
かもしれませんね。
 
 そもそも羽根つきの起源は、「胡鬼(こき)の子遊び」という厄払い行事が原型なのだとか。
昔、子どもを刺して病気を広める蚊を、撃退するものとしてカゲロウが珍重された。羽子板の羽根をカゲロウの頭に見立て厄払いした儀式が、羽子板市の起源という説があります。
 羽子板で羽根を打つ動作や、「一つ」、「二つ」と数える動作が、カゲロウをおどして蚊を取らせた呪文とも重なるとか。
 何につけても起源をたどるのは、面白いものですね。

   
 浅草寺の仲見世をいくと、羽子板を売る屋台にいくつも出会います。

 
 天井までいっぱいに飾られた、色とりどりの羽子板。
 大きな羽子板をご購入する客が出ると、「さあ、みなさんお手を拝借!」と、三本締め。パンパンと、輪の中に入って一緒に手締めをしていると、なんだか「運」を分けてもらったような、い〜気分になってきます。

   
 もう一つ、浅草の羽子板市で特筆すべきは、「押し絵」でしょう。 綿を絹の布で包み、立体的な部品のようにして張り付ける。歌舞伎役者たちの顔が、極彩色のレリーフとなり、羽子板の面を飾ります。
 江戸時代、アイドルたちの「立体ブロマイド」として大人気を博した羽子板。その名残が、今、「叶姉妹羽子板」などに姿を変えているのでしょう。
 
 さて、「押し絵」と言えば、江戸川乱歩の作品に、「押絵と旅する男」という奇妙なお話があります。
 主人公は、風呂敷を大事そうに携帯しながら旅する男に出会う。風呂敷包みの中を見せてもらうと、中から額縁に入った押し絵が出てきた。

「押絵といえば、羽子板の似顔細工しか見たことがなかったが、そして羽子板の細工にはずいぶん精巧なものもあるのだけれど、この押絵は、そんなものとはまるで比較にならぬほど、巧緻をきわめていたのである」
 顔は細かなシワがひとつひとつ刻まれていた。
 髪の毛は、人間の毛髪を丹念に植え付けたものに違いなかった。

「文楽の人形芝居で、一日の演技のうちに、たった一度か二度、それもほんの一瞬間、名人の使っている人形が、ふと神の息吹をかけられでもしたように、ほんとうに生きていることがあるものだが、この押し絵の人物は、その生きた瞬間の人形を、命の逃げ出す隙を与えず、とっさのあいだに、そのまま板にはりつけたという感じで、永遠に生きながらえているかと見えたのである」

 男が持ち歩いていた押し絵が、生きているように見えるのには、それなりの理由があった。
「ほんとうに、生きておりましたろう」と老人は言う。そして、押し絵になった男の身の上話を始めるのであった……

 そう、浅草の羽子板市には、厄払いや、職人の手から生まれた美や、神秘の物語が、盛りだくさんに詰まっているのです。


今年最後にご紹介する、二冊の本

*『ベンヤミンの生涯』平凡社ライブラリー 野村修著
*『遊歩者の視線 ベンヤミンを読む』 NHKブックス 好村富士彦著
 
 思想家であり、かつ「体系」というものに縛られず、短い文章や断片的な字句を数多く綴った詩人であった、ヴァルター・ベンヤミン。
 最初、ひとくくりにはとらえがたい、散乱していくようなベンヤミンの仕事群に、私はとまどいを感じた。そして先輩に薦められるままに『ベンヤミンの生涯』(平凡社ライブラリー)という一冊の書物を手にとった。

 『ベンヤミンの生涯』という本は、ドイツ文学者・京都大学教授、野村修氏の著作である。
 一見、「ベンヤミン」という人間と思考についての解説書や紹介かと見紛うが、しかしそうではない。本の中に並ぶ文字たちは、「説明」というものをはるかに越えて、著者・野村氏自身のたぎる血と精神の「ジャンプ/はばたき」が折り畳まれ、ベンヤミンの言葉を輝かせる働きをしている。
 

 最初、この本を手にとってからいったい何回、ページをめくったことだろうか。私は 何か新たなテーマに遭遇するごとに、ベンヤミンの言葉の断片を読み、書き写し、考えた。たとえばこんなフレーズについて。

誰であれこの日々には、じぶんが<できる>ものに固執してはならない。力は即興にある。決定的な打撃はすべて、左の手でなされるだろう
 
 ベンヤミン自身の言葉が、執筆・翻訳者の野村修氏の言葉と重なり合い、響きあい、美しい音となって、私の上へと降り注ぐ。 歌うような言葉たちを、心躍らせながら書き写す。言葉に触れるとき、私の中で魂が舞い上がる。

けっして書かれなかったことを、読むこと」 
     *   *   *
 「ノンフィクション」というジャンルで執筆を続けてきた私自身の仕事についても、深く思いを巡らす原動力となってくれた、たとえばこんな言葉たちがある。

どんな新鮮な経験も、ひとの思考能力を全面的に動員して新しく考えぬかれるのではなくて、むしろ、あらかじめ規格化され御用化されているフレーズにあてはめられ、流通しやすいものに仕立てられてしまう

 現在の社会の中で、「フレーズ/言説」が生産されていく道筋について、「エイズ問題」を台座にしながら、うんうんうなりつつ考えていた時。
 ベンヤミンの言葉は、そしてベンヤミンを鮮やかに翻訳し私たちに伝えてくれた野村修氏の言葉は、思考のパルスを思い切り疾走させる「ガソリン/ばね」となった。
     *   *   *
 1998年4月、この本の著者・野村修氏が亡くなった。67歳だった。 
 その2年後の2000年4月、ドイツ文学者・好村富士彦氏によって『遊歩者の視線 ベンヤミンを読む』という一冊の書物が世に送り出された。「ドイツ文学者・野村修氏を悼む」という章の冒頭はこう始まる。  
「夜のなかを歩みとおすときに助けとなるものは橋でも翼でもなくて、友の足音だ  w.ベンヤミン

 このベンヤミンの言葉を愛し、私たちに訳して伝えてくれた友の足音が途絶えた。1998年4月23日、野村修の創造的焔は私たちにその気配も与えず、ふっと消え去った」



 好村氏は静かに、野村修氏という友の「足音」について想起する。
たとえば野村修氏のベンヤミン研究の独特なスタイルとその魅力について。
「総じて野村氏のベンヤミンへの打ち込みは世にいう文学研究とか翻訳とかいうものの枠を越えた性格をもっており、ベンヤミンが野村修にのりうつったのか、野村修がベンヤミンにのりうつったのか、と思わすような凄みを感じさせる冴えた理解や翻訳に出会って驚嘆させられることが、しばしばある」

「距離を置いた静観的アプローチを打ち破って、研究対象の中に入り込み、自己の主体的体験の熱っぽい振動で対象を立ち上がらせながら把握するというやり方は、野村氏がベンヤミンに関しては初めてやった試みといえる。私は自分が手探りしていた研究の方向性を示唆してもらった感じがして、目の前が明るくなった」  
     *  *  *
 
 ベンヤミンの言葉の中には、「流行」に関するいくつかのものがある。
永遠なのは、いずれにしても、むしろドレスのフリルの方であって、イデアではない

 『遊歩者の視線 ベンヤミンを読む』という本は、「流行」についての一見わかりにくいこうしたフレーズについて、新たに思いを巡らす、大きな足かがりを与えてくれた。

 「流行」、それは「後ろ向きと前向きの視線の交錯した場所」であり、そこには「時代を先取りするユートピア的機能」があるのだと好村氏は指摘する。

 「流行」という、新しくてキラキラ光っていて、一見、薄っぺらな現象の中から、「来たりつつあるものを敏感に」感じとっていくことを、ベンヤミンは考えていたのだと。
 「流行の中に過去のまだ使い尽くされていないエネルギーをくみ出す力をかぎつけ」る。そして「グローバルな問題を視野に入れつつも、ドレスのフリルのような些細な流行の旗印を読み解き、そこから新しい法典、戦争、革命を予見するミクロポリティクスの鋭い視力」を手に入れることが、私たちにとって緊急に必要なのだ、と好村氏は語る。
    *   *  *
夜のなかを歩みとおすときに助けとなるものは橋でも翼でもなくて、友の足音だ

 二冊の本から、好村氏と野村氏の間に横たわっていた、かけがえのない水の流れ、そのせせらぎが聞こえてきた。
 それは、ベンヤミン自身が、友人の足音に聞いていたものと同じ質の響きであり、紡ぎ出された詩的言葉の中にひそかに響いていたものと同じ質の音色だった。


いただいたご感想の中から

*「五感喪失」(文藝春秋)

感覚に関するエピソードがこんなにいろいろあることに驚き、また現代のゆがみを独特の視点から追い、取材して書いていらっしゃること、その見方、とらえ方にとてもひかれました。すごくはまって読みました。
 先日、「リバーダンス」の舞台を観に(聞きに、感じに)行きました。生のステージならではのタップダンスの振動、楽器の振動が足元や体に伝わってきて、ダンサーたちのつけている香水の香りもしてきました。CDや写真からは感じ得ない五感の体験だな、と思いました」


 生の舞台、私自身も大好きで、学生時代は小劇場にもかかわっていたりしましたし、その後、ダンス、アングラ、古典芸能、音楽ライブと、時間をみつけては足を運んでいます。
 しばしば思うのです。生の舞台は、決してテレビの画面などではトータルに再生しきれきないものだと。テレビで劇場中継などを観て「ああこういう舞台ね」と理解したつもりでも、すっぽりと抜け落ちるものがある。それが、舞台というものの<核心>の魅力の部分だったりする。
 場を共有しないと感じとることができない要素。
おっしゃっているような、「振動」や「匂い」も、その中の一つかもしれませんね。
 たとえば、文楽や能を見ている時の心地よさの大きな要素は、三味線や囃子方、地謡などの楽器、声の振動とリズムなんだなぁと、思います。そして心地良ささえ共有できれば、「難しい」とか「わかりにくい」なんて感想は、軽くふっとんでしまうという気がしています。
山下)

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