柚 だ よ り
Y U Z U C O L U M N
9月号
今月の五感散歩は大分県の別府温泉です>


九州、大分県別府市。
別府の温泉の総称は、「別府八湯」。
八つの温泉場がある。世界に存在する11の温泉質のうち、なんと10種類が体験できるという日本屈指の温泉保養地だ。
その背後には、日本の近代を照らし出す輝かしい歴史が横たわっていた。



「温泉が湧いた」という記録は、奈良時代すでに見られる。明治時代初期、早くも温泉場としての開発がスタート。昭和に黄金期を迎え、日本一の温泉場に急成長した。街は不夜城と化した。
豪華でモダンな温泉建築ができた。アーケードにまたたくきらびやかなネオン。近代都市の先駆けともいえるインフラが、次々と出現した。
歓楽地の豊かさがエンジンとなり、別府独自の「温泉文化」も醸成されていった。
しかし、高度経済成長期を頂点に停滞期が訪れる。
「温泉なんてダサイ」と若者たちのレジャーは多様化していった。 

ここ数年は「温泉ブーム」が盛り上がっているが、観光客は隣の由布院や黒川など新しい温泉場へと殺到。団体客に依存し旧態依然とした観光スタイルを見直すチャンスを逸してしまえば、温泉場は斜陽化せざるえない……

日本発の温泉トラスト運動

2002年9月。
「もう一度、別府にしかない景観を見直し、守ろう」と、市民主導のまちおこしが産声をあげた。
その手法は「トラスト」運動だ。
「温泉場を対象にしたトラスト運動は、別府が日本初ではないかと思います」と、別府八湯トラスト副代表理事の土田真市さんは言う。
「いくつもの歴史的な美しい建築物が壊されてきました。もう、地域開発に対して行政を頼りにしているだけではしょうがない。自分たちの手で建物を取得し、保存するところまで踏みだそうと、活動を始めました」
実は数年前、別府のシンボル的な温泉建築「竹瓦温泉」を壊す計画が別府市側から持ち上がった。
反対に奮起した地元市民たちが「別府竹瓦倶楽部」を結成。そのネットワークが、今回の「別府八湯トラスト」を生み出す原動力にもつながった。



「トラスト」とは、市民が募金などで資金を調達し、土地や建物を自ら買い取って景観を保存する運動のこと。
そもそも100年ほど前、イギリスの三人の市民によってスタートしたこの運動は、ピーター・ラビット誕生地の景観を守る運動を皮切りに、各地の自然保護運動と結びつき世界的に知られるようになっていった。イギリスでは現在、300ヵ所以上の歴史的建造物、200カ所以上の庭園が市民の手で守られているという。
その「トラスト」の手法で、「温泉場独自の景観」を守る活動は、まさに日本ならでは、の試みだ。
「市民自ら資金を調達し、企画し、自立した行政の良きパートナーになる」ためには、千万単位の資金集めが必要だ。「別府八湯トラスト」の会員は60名(6月21日現在)だが「正会員一万人を目標に動き出しました。年内にはNPO法人となる計画です」

「路地裏散歩」のたのしみ

今、差し迫った問題として浮上しているのが「浜田温泉」の解体計画。
約70年前に建築された、宝形造銅板葺の大屋根、三角形の千鳥破風小屋根と唐破風屋根が重なる華麗な社寺風温泉建築が、解体の危機に瀕している。
それに対して「日本を代表する温泉建築という偉大な財産を無くしたくない」という声があがった。   
現在、維持管理費用を市内外から集めるための「歴史的温泉建造物保存基金条例(仮称)」を制定して解体を回避できないか、という模索が続いている。
「トラスト運動を進める際、もっとも大切なことは、別府という街の魅力を私たち地元の人間がしっかりと理解し、その上で多くの人へ直接伝えていくことです。その結果として、募金が集まったり保存運動が広がれば」と土田さん。
試みの中の一つに、地元ボランティアによる街歩きツアー、「路地裏散歩」がある。
コースは多彩だ。たとえば別府の街中の歴史を歩く「竹瓦界隈路地裏散歩」(月・水・金・日)、大正ロマンの薫り漂う洋風建築などをめぐる「山の手レトロ散策」(金・土・日)、井戸や旧家など古い街並みに出会うことができる「浜脇温泉時間旅行」(日)、そして夜の別府の妖しい魅力を堪能できる「夜の路地裏散歩」(金)など。
すでに600人のお客さんをガイドしたという。

レトロ空間を訪ね歩く

昼間の「竹瓦界隈路地裏散歩」は別府駅がスタート地点。 まず、大正時代に建てられた駅前高等温泉を訪ねる。「ハーフティンバー」様式を模した、しゃれた洋風建築だ。
続けてアンティーク喫茶店を併設する国際民宿こかげ、路地裏の共同浴場・梅園温泉、アンパンの老舗・友永パンなど、レトロ空間を堪能。



「児童館」として活用されている建物の前に立つ。時を重ねるごとに風合いを増すイタリア製のレンガタイル張り建築に見とれる。玄関口のアールが美しい。実はこの建物、東京駅前にある東京中央郵便局の設計者として有名な建築家・吉田鉄郎が、昭和三年に「別府電報電話局」として建てたもの。
貸席(赤線)旅館跡を保存・活用した喫茶店「アホロートル」で一休み。その後、温泉を飲むことのできる共同浴場・紙屋温泉、アーケードの楠銀天街などを練り歩き、いよいよ唐破風作りの外観が美しい木造建築・竹瓦温泉を最後に散策コースは終わる。
約二時間半のこのコースにはボランティアの人たちによる詳しい解説が付く。別府の「深さ」に触れることで、景観を保存していくことの大切さを、身をもって知ることのできる格好のウォーキングツアーだ。

流しのぶんちゃんが案内する「夜の路地裏散歩」

午後八時。今度は「夜の路地裏散歩」に参加した。
流し歴40年のぶんちゃんが、アコーディオンで哀愁おびた「別府行進曲」を奏でつつ、夜の散歩が始まった。



ボランティアのママさんガイドさんが、バスガイドのような七、五調で「道のせまさは日本一……」と説明を開始。
ライブ演奏の楽しめるヒットパレードクラブ、ヨーロッパの細い路地を模した八坂ナイトタウン、小さなバーの中など、一見の客ではなかなか覗くことのできないディープな世界を、次々に探訪していく。
「商売のためにこの路地裏散歩を企画したわけではないんです。別府の深い魅力やすばらしさに、ぜひ直接出会っていただきたいんですよ」と河村建一さんは言う。
別府八湯トラスト代表理事を務め、市民グループ「指月」代表として長年、まちづくりに力を注いできた人だ。
「路地裏散歩に参加された方が、その結果として、別府の街って面白いな、また来たいな、と思っていただけたらうれしい。そんなしなやかなまちづくり活動を通して、別府にしかない景観を保存していければ、と思います」
 「トラスト」の手法を取り入れてスタートした別府の取り組み。市民が自らの手でまちづくり・まちおこしを進めていこうという時代の流れに、また新たな可能性を付け加えることになりそうだ。


つけたし
大分・別府温泉の輝かしき歴史


明治時代初期、早くも温泉場としての開発がスタートした別府。都市計画に着手し、碁盤の目となる道路が整備された。昭和初期になると、石炭・鉄鋼産業で一儲けした人や、船で別府港へ到着する遠方の客たちで日本一の温泉場に急成長。豪華でモダンな温泉建築がたくさん作られ、この時期の地方都市には珍しく路面電車が走り、日本で最も長いアーケードも出現。日本初のバスガールも生まれた。地図などに使われる温泉マークも、別府から生まれたという説がある。
  


 新刊のお知らせ

 
『<五感>再生へ -感覚は警告する-』

    岩波書店 2003年9月24日発売 2310円



からだを動かすことや五感を駆使する体験の少ない現代社会。いま、私たちのからだに大きな異変が起きている。
豊かで便利な社会の只中で混乱する現代人の姿を描くとともに、失われた「五感」を取り戻すためのさまざまな試みを、斬新なビジュアルとともに紹介する、新しいスタイルのノンフィクション。





一章 触覚
1)痛み・刺激を求めてさまよう人々
2)我が子に触れない、親と子の距離 
3)触りたい、そして癒されたい私たち
二章 嗅覚
1)「偽物の匂い」に侵されていく日常 
2)消臭生活がパニックに襲われるとき
3)人と匂いとの「幸福な関係」を求めて
三章 聴覚
1)「音環境」を創り出す、人の声の秘密
2)悪化する騒音社会に、処方箋はあるのか
3)音の栄養不足」から脱出し、「古代人の耳」をとりもどせ
四章 味覚
1)「崩食」の時代、迷走する味覚
2)食のファシズムが食卓に蔓延する日
3)ストーリーのある食卓が、舌と味覚をよみがえらせる
五章 視覚
1)激変する視覚世界と、子どもの目のゆくえ
2)トリックアートが暴いた、視覚依存の危険性
3)暗闇の世界が「五感」と「身体」を拓く瞬間
六章 喪失から再生へ

岩波書店 2004年9月24日刊行。2310円
購入は、全国の書店または、
岩波書店HPまで。



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